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今年で3回目となったツール・ド・おきなわは、昨年と同じ市民210kmにエントリーしていた。この過酷なレースに向けた練習を怠ったのがたたり、案の定、今年はタイムオーバーでDNSとなってしまった。
「今年は完走は無理だと思う」と、レース前から言い訳めいたことをすでにまわりには漏らしていたが、「またまた〜そんなこといって結局走りきるんでしょ」などと言われ本気にとってもらえない。
万が一今年のコンディションで走りきったら、俺は天才だなどと思いつつ出場し、やはり天才などではないことがよくわかった。
こんな状態でスタートした理由はただ一つ、今回初めておきなわに出るtakaちゃんのアシストを少しでもしたいと思ったからだ。日曜でも仕事がある彼を、無理を言って出場させたのは俺だ。調子が悪いから俺は出ないけどがんばって、というわけにはいかない。せめて普久川の前の平坦部分は一緒に走って、いい位置にいてもらいたかった。
そして、見事に普久川までの最初の70kmで、俺の脚は終わった。昨年までなんともなかった海洋公園の前の坂で大きく失速して、ふくらはぎが痙りだし集団の後の方まで下がってしまった。その後、がんばってじわじわと前の方ににじり出たが、普久川の登りでは息も絶え絶えといった感じになってしまった。一回目の普久川関門を左に曲がった下り基調の道で、10人近いグループができたものの、容赦ない上り下りが続き、脚にダメージを与えていく。ついに奥の手前の少し長めの坂で、最後の頼みの綱だったその集団からもはぐれてしまった。大腿四頭筋がカチカチに攣ってくる。攣っている間は負荷が掛けられないからどんどんスピードが落ちてくる。苦しい。でもまわしているうちに必ず痙攣は散ってくれるはずだから、我慢してまわす。時計を見てざっと関門の制限時間を計算する。あと1時間半で高江の関門まで辿りつくなんて無理かもしれないと弱気になる。一度携帯電話に手を伸ばし、応援サポートに来ているLEGONのMgrに回収を依頼しようと試みたが、圏外。しかたない、これは行くところまで行けということなんだと、気を取り直し更に先を目指すことにした。
走力の貯金はできない。走りは正直なまでに練習の内容に反映する。去年、そんなに辛い練習した記憶がないのだが、思い返すと、明神峠に行ったり、奥多摩から山梨まで行って帰ったりと、よく走り込んでいた。今年は10/16のさいたまサイクリングフェスティバルで緩ーく50km走ったのが最後で、あとはローラーを少々やっただけ。やっぱり沖縄の210は甘くない。真剣に練習してこのレースに臨んだ他の選手に申し訳なく思う。そのせいで、今年はコテンパンにやられている。takaちゃんは順調に走っているだろうか。彼の成績だけが今回の希望の光だった。
そんなことを考えながら走っているうちに、脚の攣りは治まってスピードを徐々に上げて行けるようになった。後からきた5人ほどのグループに乗る。2回目の普久川の入り口にLEGONののぼりを立ててMgrや、奥さん、Jさんが声援を送ってくれる。ありがとう。でも声援に応えられなくて申し訳ない。登りに入った途端、また治まったはずの脚が攣りはじめる。あと20分ですよと声をかけながら2台の自転車に抜かれる。あんなに元気に登れるのに、なんで今まで俺より後を走っていたんだろうと不思議に思うが、長い距離のロードレースではペース配分の仕方によってはよくあることだ。
森の中から聞こえる鳥の声は、計測ポイントを集団で通過したときの電子音のようにピッ、ピッピッ、ピと響いている。すると、11:58背後から「地元の皆様、大会関係者の皆様、交通規制のご協力誠に・・・」というアナウンスが聞こえはじめた。間もなくしてその車に、「すみません。タイムオーバーです」と失格を宣言された。「アハハ・・・」力ない笑いが出た。しかし、最後まで希望を持って走っていたので、清々しい気持ちでいられた。リチャードⅢの台詞で、「絶望して死ね」という恐ろしい台詞があるが、今日の経験で、死ぬときは希望を持ちながら死ねるようになりたいと思った。
DNSとなった俺は、普久川の補給ポイントにもなっている関門で計測チップを返し、ゼッケンを外した。悔しさと無念の溢れる場所かと思いきや、むしろ安堵感が漂っていた。ボランティアのスタッフが温かく迎えて労をねぎらってくれた。ありがとうございます。ヒラミレモンのジュースが美味くて5杯も飲んでしまった。
大型バスと大型トレーラーが、回収車として待機している。俺が不甲斐なかったために、本来ならもっと威力を発揮するはずの相棒Madone6.9sslをあれに乗せるわけにはいかない。レース脚は終わっても、全く乗れなくなったわけじゃない。仲間が待つゴールまで、自走して帰ることにした。登って来た普久川ダムを下り、58号線を南下して帰る。追い風に乗ってことのほか快適に走れた。各所に、ツールドおきなわの開催にあたり、地元の交通規制をお願いする看板や表識がある。川上の関門からは、当然レースのコースとして58号線は使われているので、名護市街のゴールまで選手以外は走れない。ゼッケンを付けていれば、ここを走っているはずなのに、迂回を余儀なくされることにあらためて失格となってしまった結果を思い知らされた。案内に従って迂回路に進む。迂回路には車が集中して、長い渋滞ができていた。毎年レースをさせてもらっている陰に、多くの皆さんにご迷惑を掛けていることを実感した。14:15ゴール地点に到着。今年は正面から帰って来たのではなく、裏口からこっそり帰ってきた感じ。「どうでしたか?」と聞かれて答えるのが恥ずかしいツールドおきなわとなってしまった。
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