LEGON鶴見辰吾 Shingo.Tsurumi ブログ 自転車名人
きっかけは自転車。 そこから世界が広がります。
2011.11.17

今年で3回目となったツール・ド・おきなわは、昨年と同じ市民210kmにエントリーしていた。この過酷なレースに向けた練習を怠ったのがたたり、案の定、今年はタイムオーバーでDNSとなってしまった。

 

「今年は完走は無理だと思う」と、レース前から言い訳めいたことをすでにまわりには漏らしていたが、「またまた〜そんなこといって結局走りきるんでしょ」などと言われ本気にとってもらえない。

万が一今年のコンディションで走りきったら、俺は天才だなどと思いつつ出場し、やはり天才などではないことがよくわかった。

 

こんな状態でスタートした理由はただ一つ、今回初めておきなわに出るtakaちゃんのアシストを少しでもしたいと思ったからだ。日曜でも仕事がある彼を、無理を言って出場させたのは俺だ。調子が悪いから俺は出ないけどがんばって、というわけにはいかない。せめて普久川の前の平坦部分は一緒に走って、いい位置にいてもらいたかった。

 

そして、見事に普久川までの最初の70kmで、俺の脚は終わった。昨年までなんともなかった海洋公園の前の坂で大きく失速して、ふくらはぎが痙りだし集団の後の方まで下がってしまった。その後、がんばってじわじわと前の方ににじり出たが、普久川の登りでは息も絶え絶えといった感じになってしまった。一回目の普久川関門を左に曲がった下り基調の道で、10人近いグループができたものの、容赦ない上り下りが続き、脚にダメージを与えていく。ついに奥の手前の少し長めの坂で、最後の頼みの綱だったその集団からもはぐれてしまった。大腿四頭筋がカチカチに攣ってくる。攣っている間は負荷が掛けられないからどんどんスピードが落ちてくる。苦しい。でもまわしているうちに必ず痙攣は散ってくれるはずだから、我慢してまわす。時計を見てざっと関門の制限時間を計算する。あと1時間半で高江の関門まで辿りつくなんて無理かもしれないと弱気になる。一度携帯電話に手を伸ばし、応援サポートに来ているLEGONのMgrに回収を依頼しようと試みたが、圏外。しかたない、これは行くところまで行けということなんだと、気を取り直し更に先を目指すことにした。

走力の貯金はできない。走りは正直なまでに練習の内容に反映する。去年、そんなに辛い練習した記憶がないのだが、思い返すと、明神峠に行ったり、奥多摩から山梨まで行って帰ったりと、よく走り込んでいた。今年は10/16のさいたまサイクリングフェスティバルで緩ーく50km走ったのが最後で、あとはローラーを少々やっただけ。やっぱり沖縄の210は甘くない。真剣に練習してこのレースに臨んだ他の選手に申し訳なく思う。そのせいで、今年はコテンパンにやられている。takaちゃんは順調に走っているだろうか。彼の成績だけが今回の希望の光だった。

 

そんなことを考えながら走っているうちに、脚の攣りは治まってスピードを徐々に上げて行けるようになった。後からきた5人ほどのグループに乗る。2回目の普久川の入り口にLEGONののぼりを立ててMgrや、奥さん、Jさんが声援を送ってくれる。ありがとう。でも声援に応えられなくて申し訳ない。登りに入った途端、また治まったはずの脚が攣りはじめる。あと20分ですよと声をかけながら2台の自転車に抜かれる。あんなに元気に登れるのに、なんで今まで俺より後を走っていたんだろうと不思議に思うが、長い距離のロードレースではペース配分の仕方によってはよくあることだ。

森の中から聞こえる鳥の声は、計測ポイントを集団で通過したときの電子音のようにピッ、ピッピッ、ピと響いている。すると、11:58背後から「地元の皆様、大会関係者の皆様、交通規制のご協力誠に・・・」というアナウンスが聞こえはじめた。間もなくしてその車に、「すみません。タイムオーバーです」と失格を宣言された。「アハハ・・・」力ない笑いが出た。しかし、最後まで希望を持って走っていたので、清々しい気持ちでいられた。リチャードⅢの台詞で、「絶望して死ね」という恐ろしい台詞があるが、今日の経験で、死ぬときは希望を持ちながら死ねるようになりたいと思った。

DNSとなった俺は、普久川の補給ポイントにもなっている関門で計測チップを返し、ゼッケンを外した。悔しさと無念の溢れる場所かと思いきや、むしろ安堵感が漂っていた。ボランティアのスタッフが温かく迎えて労をねぎらってくれた。ありがとうございます。ヒラミレモンのジュースが美味くて5杯も飲んでしまった。

大型バスと大型トレーラーが、回収車として待機している。俺が不甲斐なかったために、本来ならもっと威力を発揮するはずの相棒Madone6.9sslをあれに乗せるわけにはいかない。レース脚は終わっても、全く乗れなくなったわけじゃない。仲間が待つゴールまで、自走して帰ることにした。登って来た普久川ダムを下り、58号線を南下して帰る。追い風に乗ってことのほか快適に走れた。各所に、ツールドおきなわの開催にあたり、地元の交通規制をお願いする看板や表識がある。川上の関門からは、当然レースのコースとして58号線は使われているので、名護市街のゴールまで選手以外は走れない。ゼッケンを付けていれば、ここを走っているはずなのに、迂回を余儀なくされることにあらためて失格となってしまった結果を思い知らされた。案内に従って迂回路に進む。迂回路には車が集中して、長い渋滞ができていた。毎年レースをさせてもらっている陰に、多くの皆さんにご迷惑を掛けていることを実感した。14:15ゴール地点に到着。今年は正面から帰って来たのではなく、裏口からこっそり帰ってきた感じ。「どうでしたか?」と聞かれて答えるのが恥ずかしいツールドおきなわとなってしまった。 

2011.11.12

すね毛を剃るのは一年振り。

 

ロードレース前の儀式。

 

ツールドおきなわ

 

市民210km

 

頼むぞ俺の心。

 

頼むぞ俺の身体。

 

頼むぞ俺の自転車。 

2011.8. 8
北海道なのに日中は結構暑くて参りました。 このところの練習サボりの割には、調子がよく、目標の40分をギリギリ切って39:58 クラス100人中8位でした。 このまま調子に乗って、練習量増やして行こうと思います。 次は鈴鹿シマノ。
2011.6.14

ほとんど登りの準備がなってないまま走る今年の富士HCだった。

 

かえって何の気負いもなく、これで意外といいタイムが出たらもうけモンだな、といった気楽な気持ちでいた。

 

それでもさすがに少しくらいは登っておこうと、本番5日前の7日にヤビツにいった。

 

ギアの設定を前コンパクト後11−23のままだったのと、後ろ乗りで蹴りだすペダリングを意識しすぎたことで、古傷のある膝が痛みだした。これは、以前明神峠を登ったときもでた症状で、回せず踏み込むとこうなる。

 

本番でそうなる前に悪い癖が確認できたのはよかったとしよう。

 

ただ、下りでせっかく持参したウィンドブレーカーを着なかったのが失敗だった。

 

霧の中で水分を纏いながら体を冷やしたらしく、帰宅すると焼けに体が重く感じたのもそのはず、まんまと風邪を引いてしまったのだった。

 

中4日でどうにか直そうとしたものの、夏の風邪はだらだらと長引き、完全な状態には戻れなかった。

 

それでも、走っているうちに調子良くなるかもしれないしなどと、内心は最後まで楽観していたが、どうにも肺に目一杯空気を入れる事ができず、とてもレースの走りにはならなかった。

 

ゴール手前300mで1:28 せめて1:30は切っていたいのでここはあわてた。

 

1:29.24

 

ベストからは10分遅れた。

 

ただ、ゆっくり走っても、高出力で走っても、辛いのは同じだというのがよくわかった。

 

だったら、集中してなるべく辛い時間は短く済まし、いいタイムを出すに限る。

 

今年は8月7日に開催される北海道のニセコヒルクライムに出る。

 

ここに合わせて、またヒルクライム魂に火を灯す。

 

リヴェンジだ。 

 

 

2010.11.16

 来年はこうしよう、ああしようと夢を膨らませているうちに、あっという間に今年のツール・ド・おきなわが終わってしまった。ほんとうに夢のような時間だった。生きていることに感謝できる濃密な時間。それが、国内ホビーレースの最高峰といわれるおきなわの魅力なのだ。

 

出場する誰もが気になったのは、あらためて10km延長されて、さらにタフになったコースの内容と、当日の天気だったに違いない。金曜日の夜沖縄入りした我々夫婦は、大会前日の土曜日早朝から、車で市民210kmのコースを下見に行った。車でまわっても4時間半。濡れている路面は、MERRELのスニーカーでもツルツル滑ってくれる。そして何より後半200km地点まで続く容赦のない登りが、運転している私に大きく息をつかせてくれる。この下見をしなかったら、ギアを50−34×25−12で行くつもりだったが、変更して28のワイドレシオにすることにした。

 

この日、朝方はどうにか降らずにいたものの、昼前から大粒の雨が降り出してしまった。今年から、地域振興と自転車競技の普及を目的に、市民クリテリウムが名護の中心地の周回コースを使って行われる。私もエントリーしていたが、翌日の210kmに主眼をおく身としては、雨の市街地コースで落車してもよくないと考え、出場を取りやめに受付まで足を運んだ。twitterでもクリテリウムはやめたとつぶやいて、DNF宣言をしたものの、いざ受付前に立つと、出場選手リストにある自分の名前が車番1になっているのが目に入ってきて、思い直した。初めての種目に栄えある1番もらってその選手が出ていないなんて、しまらないぞ。「迷ったら走る」これは昨年、土砂降りの佐渡ロングライドをDNSして、後悔したときに決めた言葉だった。よし、出りゃなんとかなるさ。出場を表明し14:00のスタートを待つことにした。

 

雨脚はちっとも弱まらず、むしろ強くなっていく。少しでも濡れたくない、安全に走りたいと思う私は、レインウェアを着て、雨用登山のグローブに、泥よけのフェンダーを付けて走ったが、これはカッコ悪いといろんな人から不評だった。

 

雨の中22人が出走、11人がゴールして、私は10位だった。一人コーナーでスリップして転倒したが、大きな怪我にはならずに済んだようだ。瞬く間に終わった15km。順位はともかく走ってよかった。沿道から、LEGONの仲間や、多くの方から声援をもらって嬉しかった。雨のなかレーススピードで走って気合いが入った。コーナリングのグリップ感、ブレーキの効き具合が把握できて、翌日が雨でもいける気がしてきた。「迷ったら走れ」は間違っていなかったようだ。

  

 

  

 

 

 

 

 

 


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