LEGON鶴見辰吾 Shingo.Tsurumi ブログ 自転車名人
きっかけは自転車。 そこから世界が広がります。
2011.9. 1

今日、晴れ晴れと新青森駅にゴールしました。

 

自転車を通じて出会った友は、なぜにこれほど魅力的なのか?

 

本当にありがとう。

 

繋がった。

 

  

2011.9. 1
今日、晴れ晴れと新青森駅にゴールしました。 自転車を通じて出会った友は、なぜにこれほど魅力的なのか? 本当にありがとう。 繋がった。
2011.8.17

ホテルの朝食はビュッフェスタイル。

 

大きなどんぶりに盛られた大量のイクラを見て、朝でボーッとしていたせいか、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなった。

 

「ん、まだ北海道だったか?」

 

・・・仙台の朝だった。

 

この一週間以上、ニセコ→福岡→横浜→福島→仙台→一ノ関と日本の各地を転々と移動したので頭がこんがらがっていた。

 

 

 

今回の旅のはじまり、ニセコHANAZONOヒルクライムは今年で2回目の開催。

 

およそ15km、平均勾配4.6%のレースが終わると、夏休みの宿題をやり終えたような開放感に浸れて、この時期の北海道を自転車で走るのは至福の時間だった。 

  

参加したLEGONのメンバーで、ゴールで最後の力を振り絞る選手達に声援を送る。これも本当に楽しい。おかげで声がガラガラになった。

 

その甲斐あって、LEGONからシンボーがS4クラスで2位、ミホさんがLクラスで3位とそれぞれ表彰台にのぼり、ツアーはますます盛り上がる。

  

 

  

このイベントは倶知安じゃが祭りとも重なってとても楽しい。昨年の出場者数230名が、今年は倍の460以上になったのもうなずける。

  

来年は更に増えるだろうな。事務局の皆さんよろしくお願いします。本当にありがとうございました。

 

 

ニセコからバスで千歳空港。羽田空港から福岡へ。

  

福岡には、映画「私の叔父さん」(細野辰興監督、主演高橋克典)の撮影。

スケジュールでは自転車に乗る時間はない。羽田空港のB1に自転車を預けた。一泊800円で5泊預けnの4000円。福岡には奥さんも連れて行って、留守の家に自転車を送れなかったのでそうするしかなかった。

 

福岡に着いたら、旨いイカを食べさせてくれる店に直行。しばらくロケ弁しかいただけないので、ここでじっくり味わっておいた。

    

5日間のタイトな撮影終了後、福岡を後にする。奥さん連れて行ったものの、ほとんどかまうことができず、LEGONのMgr夫妻に任せっぱなしになってしまった。お世話になりました。ありがとうございます。

 

羽田空港に置いてあった自転車を引き取って、一旦自宅に向かう。

スーツケース、お土産、自転車の他に福岡にギターを送っていたから、荷物がたくさんある。タクシーだとワゴンタクシーじゃないと積みきれないので、レンタカーを借りて自宅まで帰ることにした。借りたのはスバルEXIGAかな?これなら、自転車をOS-500に入れていれば、3人まで乗れそうだ。料金は6時間で7900円。この日は帰宅して、また直ぐに自転車を飛行機輪行用のOS-500から電車用のコンパクトな 220に移し替えて福島に出発だったから、横浜駅で荷物を運んでから乗り捨てできて重宝した。 タクシーより断然お得だった。

 

翌日、8:00福島駅西口にいた。

   

続々と集まる地元のLEGONメンバー。

 

ホルダーのまどんさんをはじめ、ジーコさん 、masa_gateさん、hide310さん、Ajjieさん、新潟から参加のデライトさん、うみのさん、前日僕と福島入りしたラテさん、見送りのボギーさん、ステイメンさん。

 

5/27博多を出発した合力日本。チャリティーリレーが東北に繋がった。

 

たすき代わりののぼりには、参加した全てのメンバーの思いが詰まっている。

 

応援してますよ。東北。 

 

仙台を目指して約100km弱を走る。

 

白石蔵王でHIさんが、合流。

 

白石川沿いの桜並木は樹齢を重ねた立派な桜で、僕らを真夏のきつい日差しから守るように癒してくれた。

  

熱中症対策のためこまめに 休憩を入れて、仙台到着は17:00になった。

 

われわれを出迎えてくれたおかのぼりさんとともに、記念撮影。

  

この晩は、この日一緒に走った仲間と、翌日走る仲間とともに仙台の美味いものを食べながら親睦を深めた。

 

みんなこれが何よりの楽しみだ。

 

 翌朝8:30仙台駅西口出発で、ホルダーのみっささん、おかのぼりさん、マサムネさん、ヴェッツさん、サトヒロさん、この日で3日目になるジーコさん、Hiさん、ラテさん、僕の9人で走り出す。

          

国道4号線も内陸部とはいえ、いたるところがひび割れていて、地震の凄ましさをもの語っていた。

 

昼食をとった古川町は、地震そのものの揺れによる被害が大きかったそうで、壁が崩れ落ちたり、家屋そのものが傾いているところも未だ多く残っている。

 

復興にはまだまだ時間と根気が必要だと感じざるをえない。

 

東北は少しは涼しいかと思いきや、サイコンの温度計は39℃をさす猛暑。

 

100kmに満たない距離でもくたくたになる。

 

ゴールの一ノ関では、猫山さんが青森からわざわざ迎えに出てきてくれて、首を長くして待っていた。

            

 

いよいよ岩手県に入り、ゴールも見えてきた。

 

20日の一ノ関出発のリレーにも参加して、東北の皆と走る予定だ。

 

盛岡まで行けるかな。

 

東北新幹線の紙コップは、我々の合力リレーを応援してくれているようなデザインだった。

  

 

2010.10. 6

昨年に引き続き今年もホノルルで、自転車に乗ってきた。

 

2005年初めて奥さんと出場して以来、奥さんの最長距離はセンチュリーライドの160km。

 

ハワイだから、160km走れるようだ。

 

今年は昨年に増して、多くのLEGONの仲間が集まった。

     

その中に初めて160kmに挑戦する女性も4人。

 

一人は慎重に自身のコンディションを考えて、75マイルで引き返したけど、3人は160km時間内に走りきった。

 

75マイルだって120km。

 

普段さして乗り込んでいない女性が、ペロッとロングライドを平らげる。それがハワイの魅力かもしれない。

 

やっぱりハワイっていいなあ。

 

唯一の難点は、楽しすぎたのと時差で、日本に帰ってからスイッチを切り替えるのが大変だってことだ。 

 

これを味わっちゃうと50、60kmなんてご近所に思えてきちゃうでしょう。

       

 

アフターパーティーの盛り上がりは、ともにロングを走ったからこそのヴォルテージ。

 

今中さんも絹代さんも、前日のプラクティスライドから当日の100マイルまで、たっぷり走った後に進行を勤めるから体力勝負。頭が下がります。

私は抽選のお手伝いをしただけですみません。

 

 

 

センチュリーライドが終わってちょっとハワイで遊ぶ。

 

乗馬に行こうと思ったら、馬が全部出払っていると。

 

そんなことあるのか?

 

代わりに、しけたさんとTomomyさんが手配してくれたバギーに乗りにいった。

   

 

オワフ島って決して大きな島じゃないはずなのに、雄大に感じてしまうのは、その地形のせいなんだろうな。

 

インストラクターのダイスケさん、お世話になりました。リクエストに応じて写真載せますよ。

         

 

帰りのホノルル空港で、大好きな中野 さんに会えた!

       

今回は、75マイルの折り返し地点で、足に痛みが出たのでサポートカーを呼ぼうとしたら、なかなか来ないので結局自走して帰ってきてしまったそうだ。

 

中野さんもロードに乗る時代。

 

次回はぜひともご一緒に。


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2010.7.26

ホテルからTreviso旧市街のスタート会場までの10km弱、ブレーキのセッティングが右左逆だとわかる。昨年は本番まで現地で二日あったから、その間に試走もたっぷりしたし、ブレーキも自分の自転車と同じように、右前左後に直した。

 

 雨宿りしながらスタートを待つ。

 いよいよスタート。 

 

時間の余裕がないレース参戦はリスクが多い。二時間以上待たされて体が冷えたのと、距離が短くなったことで、かなりストレスが溜まっていたものの、スタートした集団は、石畳の敷かれた狭く曲がりくねった道を慎重に進んでいった。

 

  

 市街地を抜け道幅が広がるにつれじわじわと前へ前へとにじり出てゆく。雨上がりのイタリアの風景にとけ込んで風を切りながら自転車に乗る。至福の時間だ。やっぱり来てよかった。一緒に走るLEGONジャージのラテさんと「最高だね!」と声を掛け合う。

 

20kmくらい進んで、そろそろ集団も落ち着きかけたころだった。ヨーロッパのレース中継でおなじみのロータリーに入ったとき、前方を走る一台がコースを大きく外側に外れ、転倒しかかっているのが見えた。突っ込まないようにブレーキをかけたその瞬間、後輪が右にスライドし、急いで左足をペダルから外したが、そのまますっ転んだ。後続車に追突されるかと思ったが、うまくよけてもらって助かった。ブレーキの右左が普段と逆なので、前で制動をかけたつもりで、後ブレーキをロックさせてしまい、さらに握り込んで転倒したのだった。いわゆるニギリゴケだ。「鶴見さん、がんばって!」と他の日本人出場者から声がかかる。

 このところ仕事や暑さを理由に、ダレた乗り方をしていたせいで罰があたったのだ。幸い路面が濡れていたおかげで、うまく滑ってくれて、さほどダメージはないようだ。それでも右肘と左の腰を擦ってしまっているのはわかる。傷を確認してしまうと、戦意が低下しかねないので、そのまま何事もなかったように、自転車に乗り込んで集団を追いかける。アドレナリン大放出。かえって燃えてきた。こんな状況でもまだ自転車に乗っている自分に酔う。頭の中は、落車してボロボロジャージから痛々しい傷をさらけ出しながらもステージ優勝をしたツールの選手になった気で妄想している。怪我が大したことないと、落車しても自転車は楽しい。とことん自転車が好きなのがわかったことがまた嬉しい。今までいくつかレースに参加して、いつかは落車することもあるだろうと覚悟を決めていた。だから、舞台の仕事も止めている。これで、洗礼を受けやっと一人前になった感じだ。

 

 一般の車がまるでチームカーのようにこちらの速度に合わせて前を引いてくれる。それを追走して集団に追いついた。まずは一緒に走っていたラテさんに無事を知らせるために前まで進む。「落車しちゃいましたよ」と笑いながら余裕をかましてみた。

 

 思えば始めて出たレース、TOJ東京ステージ市民レースのことだ。スタートしてすぐに起きた大落車を目の当たりにして、戦意喪失した自分を抜かしながら、「落車しちゃいましたよ、がんばってくださいね。」と集団を追いかけていった人がいた。その果敢な姿に、私は憧れていたようだった。

 

 調子に乗って、気がつくと集団の先頭を走っていた。最高の気分だ。「そろそろ登りが始まりますね」ラテさんが教えてくれる。ここで私のレースとグランツールごっこはお終い。上り出すと、早くもふくらはぎに攣る予兆が出始める。これから先は攣りとの戦い。のんびりモードに切り替える。前夜まで狭い飛行機のシートに20時間近く座って、温度の低すぎるエアコンの中にいて、アップもままならずレーススピードで走れば当然だ。

 

やっぱり、ロードレースは登りの強い人が有利。どんどんと後続車に抜かれていく。

 

    

 

 

 

 もし、予定通りモンテ・グラッパを走っていたら、体験したことがない辛さが待っていたに違いない。でもその分は走り終わった後の感動も大きいはずだ。このメインディッシュは来年に持ち越されるそうだ。

 

エイドステーションに立ち寄ってドリンクの補充をしていると、ただならぬ醸し出しを漂わす選手を発見。ラテさんが「あなたの名前は何ですか?」とイタリア語で訊ねると、「ポッツァート」だって!ラテさんポッツァートに名前聞いちゃったの巻き。

 

  

 

 またまた盛り上がって、しばしポッツァート列車に乗る。あとから知ったが、ブルセギンや、他の有名選手もいたらしい。

 

痙っては歯を食いしばり、おさまれば回しての繰り返し。最後の上りになるモンテロに向かう丘がやっぱり一番きつい。予定のコースならもっときつい勾配も含まれていた。フルコースなら、どうなっていたんだろう。

 

Trevisoに向かうラスト30kmの平坦も決して楽ではない。順番に先頭を交代していくが、脚が痙ったまま自分の番が回ってくるのは本当に辛い。それでも引かなくてはならない。自分の前を走るのは女性。この人女だてらに順番になれば前引くのかなと思ったら、やっぱり引かなかった。まあしょうがないな。でもゴールのときにはちゃっかりいい位置にいて、私より先にゴールしてた。なんかちょっと悔しい。イタリアは女の人でもジイさんでも強い。

 

ゴール前は一応スプリントらしく走る。脚を止めた途端に万力で挟まれたように脚が痙って自転車を降りるのもやっとだった。

 

結果、03:47:35.30平均速度34.27km/h。

 

完走者2255人中、540位。

 

大会が終わればパラダイス。冷えたビールで乾杯。Viva,Pinarello!

 

  

        

 

 

 

 

 

 

 


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