LEGON鶴見辰吾 Shingo.Tsurumi ブログ 自転車名人
きっかけは自転車。 そこから世界が広がります。

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2010年07月 アーカイブ


2010.7.23
Granfond PINARELLO 2010 への旅

昨年の11月から続いていた「坂の上の雲」の撮影(自分のパート)が無事に終わり、その翌日からグランフォンド・ピナレロに向けてイタリアへ飛び立った。

↑「国盗り物語」から大好きな高橋さんとの競演は最高に幸せな時間だった。

 

大きい仕事が終わった直後の海外旅行は心躍る。

 

今年は番組のロケではなく、私的な旅だからなおさらだ。

 

他のツアーの皆さんとは一日遅れの出発。そしてパリで飛行機の乗り継ぎに失敗したので、ホテルの到着は大会前日の深夜0時になった。

 

自転車はピナレロが貸してくれる新車のPARIS

 ←Team Skyカラーに仕上げてある。

  ←2011モデルのスーレコ装着。

 

6時間後にスタートするレースにいきなり降ろしたての自転車を使うのだから、かなり無理がある。

 

4時に目が覚めた。結局、睡眠は3時間に満たない。

 

外はものすごい暴風雨。これで開催できるのか?と思うほど。

 

ホテルを出発するころには、風は収まり、雨も小振りになったが、道のあちこちに枝が散乱し、時には大きな幹も倒れていた。そんな会場までの10kmでサドルを調整する。

 

案の定コースのコンディションはかなり悪いようで、スタートが2時間以上遅れた挙げ句、今回の目玉になるモンテ・グラッパがカットとなり、204kmが123kmに短縮された。モンテ・グラッパは超級山岳で、標高1700mの頂上に向かって21km登りが続く。急なところは20%ともいわれ、これがコースの中盤に、どんと我々を待ち構えるはずだった。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



2010.7.26
続Granfondo PINARELLO 2010 への旅

ホテルからTreviso旧市街のスタート会場までの10km弱、ブレーキのセッティングが右左逆だとわかる。昨年は本番まで現地で二日あったから、その間に試走もたっぷりしたし、ブレーキも自分の自転車と同じように、右前左後に直した。

 

 雨宿りしながらスタートを待つ。

 いよいよスタート。 

 

時間の余裕がないレース参戦はリスクが多い。二時間以上待たされて体が冷えたのと、距離が短くなったことで、かなりストレスが溜まっていたものの、スタートした集団は、石畳の敷かれた狭く曲がりくねった道を慎重に進んでいった。

 

  

 市街地を抜け道幅が広がるにつれじわじわと前へ前へとにじり出てゆく。雨上がりのイタリアの風景にとけ込んで風を切りながら自転車に乗る。至福の時間だ。やっぱり来てよかった。一緒に走るLEGONジャージのラテさんと「最高だね!」と声を掛け合う。

 

20kmくらい進んで、そろそろ集団も落ち着きかけたころだった。ヨーロッパのレース中継でおなじみのロータリーに入ったとき、前方を走る一台がコースを大きく外側に外れ、転倒しかかっているのが見えた。突っ込まないようにブレーキをかけたその瞬間、後輪が右にスライドし、急いで左足をペダルから外したが、そのまますっ転んだ。後続車に追突されるかと思ったが、うまくよけてもらって助かった。ブレーキの右左が普段と逆なので、前で制動をかけたつもりで、後ブレーキをロックさせてしまい、さらに握り込んで転倒したのだった。いわゆるニギリゴケだ。「鶴見さん、がんばって!」と他の日本人出場者から声がかかる。

 このところ仕事や暑さを理由に、ダレた乗り方をしていたせいで罰があたったのだ。幸い路面が濡れていたおかげで、うまく滑ってくれて、さほどダメージはないようだ。それでも右肘と左の腰を擦ってしまっているのはわかる。傷を確認してしまうと、戦意が低下しかねないので、そのまま何事もなかったように、自転車に乗り込んで集団を追いかける。アドレナリン大放出。かえって燃えてきた。こんな状況でもまだ自転車に乗っている自分に酔う。頭の中は、落車してボロボロジャージから痛々しい傷をさらけ出しながらもステージ優勝をしたツールの選手になった気で妄想している。怪我が大したことないと、落車しても自転車は楽しい。とことん自転車が好きなのがわかったことがまた嬉しい。今までいくつかレースに参加して、いつかは落車することもあるだろうと覚悟を決めていた。だから、舞台の仕事も止めている。これで、洗礼を受けやっと一人前になった感じだ。

 

 一般の車がまるでチームカーのようにこちらの速度に合わせて前を引いてくれる。それを追走して集団に追いついた。まずは一緒に走っていたラテさんに無事を知らせるために前まで進む。「落車しちゃいましたよ」と笑いながら余裕をかましてみた。

 

 思えば始めて出たレース、TOJ東京ステージ市民レースのことだ。スタートしてすぐに起きた大落車を目の当たりにして、戦意喪失した自分を抜かしながら、「落車しちゃいましたよ、がんばってくださいね。」と集団を追いかけていった人がいた。その果敢な姿に、私は憧れていたようだった。

 

 調子に乗って、気がつくと集団の先頭を走っていた。最高の気分だ。「そろそろ登りが始まりますね」ラテさんが教えてくれる。ここで私のレースとグランツールごっこはお終い。上り出すと、早くもふくらはぎに攣る予兆が出始める。これから先は攣りとの戦い。のんびりモードに切り替える。前夜まで狭い飛行機のシートに20時間近く座って、温度の低すぎるエアコンの中にいて、アップもままならずレーススピードで走れば当然だ。

 

やっぱり、ロードレースは登りの強い人が有利。どんどんと後続車に抜かれていく。

 

    

 

 

 

 もし、予定通りモンテ・グラッパを走っていたら、体験したことがない辛さが待っていたに違いない。でもその分は走り終わった後の感動も大きいはずだ。このメインディッシュは来年に持ち越されるそうだ。

 

エイドステーションに立ち寄ってドリンクの補充をしていると、ただならぬ醸し出しを漂わす選手を発見。ラテさんが「あなたの名前は何ですか?」とイタリア語で訊ねると、「ポッツァート」だって!ラテさんポッツァートに名前聞いちゃったの巻き。

 

  

 

 またまた盛り上がって、しばしポッツァート列車に乗る。あとから知ったが、ブルセギンや、他の有名選手もいたらしい。

 

痙っては歯を食いしばり、おさまれば回しての繰り返し。最後の上りになるモンテロに向かう丘がやっぱり一番きつい。予定のコースならもっときつい勾配も含まれていた。フルコースなら、どうなっていたんだろう。

 

Trevisoに向かうラスト30kmの平坦も決して楽ではない。順番に先頭を交代していくが、脚が痙ったまま自分の番が回ってくるのは本当に辛い。それでも引かなくてはならない。自分の前を走るのは女性。この人女だてらに順番になれば前引くのかなと思ったら、やっぱり引かなかった。まあしょうがないな。でもゴールのときにはちゃっかりいい位置にいて、私より先にゴールしてた。なんかちょっと悔しい。イタリアは女の人でもジイさんでも強い。

 

ゴール前は一応スプリントらしく走る。脚を止めた途端に万力で挟まれたように脚が痙って自転車を降りるのもやっとだった。

 

結果、03:47:35.30平均速度34.27km/h。

 

完走者2255人中、540位。

 

大会が終わればパラダイス。冷えたビールで乾杯。Viva,Pinarello!

 

  

        

 

 

 

 

 

 

 

  

ホテルでシャワーを浴びてすっきり、ピナレロ主催のアフターパーティーに行く。

 

 

翌日はワイナリーまで、回復走をかねてサイクリング。

 

   そしてTreviso市内観光 

 

 

 

 

そしてその翌日はVenice観光と・・・ 

  

   

   

 

 自転車に目覚めなければ、決して味わうことのなかったイタリアを満喫した。グラッツェ