鈴鹿シマノに出るか迷ったが、乗鞍に出た。
「乗鞍」といえば、ヒルクライムレースの代名詞、今年で23回を迎える。
なのに、本当の名前が「全日本マウンテンサイクリングin乗鞍」というなんて知らなかった。
サイクリングだったのか?
初めて出場するので、前もって合宿にも行った。
しかも、コーチはあの竹谷賢二さん。
二日に亘るその内容は、初日にまず1本をコースの感じを掴むためにサイクリングペースで登り、2本目に3分割したパートをアタックするという練習をして、2日目に1本アタックするというものだった。
複数本登ると、2本目以降の後半がただ辛いだけで、集中力もなくなり、フォームも崩れてしまう。
その点、この練習法は効果的だ。最後まで集中できた。
8月はこれまでヒルクライムレースに出たことがなかったからか、どうも追い込めずにいた。
それでも、乗鞍に向けて、乗鞍3本、ヤビツ7本、湘南国際村1本、椿ライン1本は登った。
あれ、結構登っていたなあ・・・・
しかしヤビツのベストは1:30以上遅い状態までしか仕上げられなかった。
特に8月の後半は、夏がそれまでの冷夏を取り戻すかのように暑かった。
暑い時は仕方ないという気持ちと、初めて出るレースで、前回の記録を上回るプレッシャーがないことで、気楽に本番に臨めた。
そんなレース一週間前の椿ラインの帰り、160km以上走ったところで、突然ペダリングが回せるような感覚になった。
ケイデンス186、42km/hで鶴ヶ峰の交差点の手前を走り抜ける。
あれ、なんかわかってしまったぞ。
と、おもしろくなって、翌日回復走をするはずが、ケイデンス記録にチャレンジしてしまった。
何度かトライして、197までいった。
そのかわり、今まで味わったことのない筋肉痛になった。
こうなると、回復に集中するしかない。
これがよかったのか、レース前にはいい状態に持ち込めた。
前日の到着は、松本からの渋滞で16:30、エントリーがギリギリになってしまった。
TREKのブースに新しいマドン6シリーズ。
まるでLEGONのジャージのようだった。
野菜のペーストのスパゲティとご飯だけで夕食を済ませ、ローラーに30分乗って22:00就寝。
当日は4:30起床。ローラー10分だけ乗って、会場に向かう。
夜の間雨が降っていたが、上がってくれて助かった。
気温は14℃、寒くない。
6時前の会場はそれほどまだ人が集まっていなかったので、男子E7:51スタートの一番前を陣取ることができた。
練習の時は1:23:50だった乗鞍のタイムをどこまで縮められるか。
富士HCのタイムが1:19:02だから、それよりは早く登りたいと考える。
ヒルクライムは走り出しの乳酸が出始めるときが一番辛い。
こんなんで、20kmも登れるのかと思うほどだ。
途中、何人もの選手が俺を抜きながら「がんばってください」などと声を掛けてくれる。
ありがたいことなのだが、ちっとも嬉しくないのが本音だ。
悔しいならついていくなり、抜き返せ。
それができないというのは、これが今の実力ということだ。
後半、あと4kmあたりで、「富士HC以来ですね」などと話しかけながら抜いていく選手に、ついに、「いいから行け!話しかける余裕があるならもっと行けええ!」と叫んでしまった。
んんん?俺も叫ぶ余裕があるならもう少しスピード上げれるな。
がんばって、ほんの少しだけペースを上げることができた。
やっぱり、声掛けてもらったほうがいいんじゃないか。
皆さんありがとうございます。
走りながら考えていた。
途中、ポイント毎にいるオレンジのウィンドブレーカを着た大会のボランティアスタッフに、なるべく挨拶をして行くことにしている。
でも、そんな余裕があるということは追い込めていないんじゃないか?
いやいや、口も利けないほど追い込んだら、自転車のコントロールそのものができなくなるはずだ。
辛い。レースは本当に辛い。辛い思いに打ち勝つには気持ちだ。
たった一時間ちょっとをどうして我慢できないのか?
ゴール前はもう無我夢中だった。
結果、1:17:07
今回はオープン参加で、参考タイムとしてリザルトには出ていない。
もっといけるはずだった。と、終わると思うのはどうしてだろう。
あんなに辛かったのに、帰りの車の中で、懲りず来年の目標を立てていた。
とはいいながら、レースが終わればニッコニコ。
下山誘導員の手伝いをして、
ご機嫌な時間が待っている。
次のレースは富士チャレ200だ。






