LEGON鶴見辰吾 Shingo.Tsurumi ブログ 自転車名人
きっかけは自転車。 そこから世界が広がります。

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2009年08月 アーカイブ


2009.8. 3
かつての自分の役

 ピーターパン東京公演の千秋楽を観て来た。

 

昨年まで延べ5度の夏をフック船長で過ごしていた。

 

自分が出ていた芝居を観るという貴重な体験、これを逃す手はない。

 

違う役者が演じると、どうなるのか?自分にはなかった何かを見つけることができる。それは、おもしろい発見でもあるけど、同時にちょっとした感傷を伴うことでもある。

 

かつての恋人の新しい彼に会うという感じでもない。住んでいた家の今の住人の様子を見るというのでもない。自分で辞めた会社の、かつての役職の仕事振りを見るという感じだろうか?

 

ピーターパンの高畑充希、タイガーリリーの峰真琴、ダーリング婦人の比企理恵、半分以上のキャストは変わっていない。

子供達を喜ばせる演技をするのは体力勝負。アクションやダンスが多いステージは怪我人も多く出る。千秋楽までともに過ごすキャスト、スタッフはいわば戦友ともいえる。彼らががんばっている姿を一観客として観た。

 

会場の東京国際フォーラムホールCには、今まで楽屋口から入ったことしかなく、正面入り口から入ったのは初めてだった。ロビーは、着ぐるみのピーターや、フックがいて、子供向けのアトラクションで賑わっている。

 

開演前はこんな様子だったんだな。

 

客席は子供が多いから、後の席が見にくくならないように、頭を低くして座る。すると、斜め左後のおじさんが、

「鶴見辰吾は鶴見辰吾で、天然だからね」

と、私の話をしているのが聞こえる。

やはり、比較されるんだなと思いつつ、「天然だから」何なのか凄く気になる。それにしても、天然と言われているとは知らなかった。

こういう場合、後を振り向いて、「天然だとどうなのか教えてください」と聞くべきか、知らない振りをしておくべきか一瞬迷ったが、びっくりさせても悪いので、聞くのは止めた。

 

オーバーチュアが始ると、舞台の上手でスタンバッていたのを思い出して、本番の緊張が甦る。この回はここで拍手が来ていた。今日のお客はいいお客さんだ。

 

どうしても、見入ってしまうのは、ダーリング氏、フック船長を演じている橋本じゅんさん。その姿を見るのは、自分では出し切れなかった答えの残りを探す作業でもある。

 

私だったら・・・・

 

出てしまったこのフレーズ。

 

私だったら、海賊達とのシーンであそこまで息のあったおもしろさを出すには、去年の稽古の量では足りなかっただろう。

 

スミーが爺やで、フックがぼっちゃんの図式は、二人の関係を作っていくうえで意識する材料にはしていたけど、あんなにおもしろく役に取り込んでいくことは私にはできなかった。演じることに遠慮してしまうのが私の悪いところ。これは蜷川さん流にいうと、「端役根性」だ。私のフックにはそういうところがあったような気がした。

 橋本さんは客が喜ぶところを知っている。ドラマ、映画が多かった私はそこがわからずに、客を置き去りにしてしまうときがある、ということに改めて気づいた。

 

では、私の演じていたフックはいいところはなかったかというと、そんなことはないといいたい。

ピーターを子供の夢の具現者だとすれば、フックは大人の夢の具現者である。この二人は夢の具現と引き換えに大きな代償を支払っている。

それは、とてつもない孤独と、悲哀だ。

 

人間の暗部を演じるのが持ち味の私としては、その辺が鶴見版フックの味わいどころと感じていただけたら幸せだ。

 

あとは、好みの問題

 

いつか、歴代のフック船長と語り合ってみたいもんだ。

 

3幕の海賊船のアクションは観ているだけで、大変さが甦って、息があがってくる思いだった。

自分が出ている時は、フックが海に落ちてからは早替えで、観たことがない「♪いばろうぜリプライズ」。このナンバーは、出演者が、客席に下りてきて、「クックッククー」と一緒に振りを誘いにくる。

 

私としては、一番きまずいところ。

 

案の定、私に気づいた出演者がそれぞれの反応をする。

 

吉川はハイタッチ、美紀は後から覗き込む、難ちゃんにいたっては、私を見て、素に戻って固まった。

 

周りのお客さんが、何でこの人ばかりいじられるのか不思議に感じ始めて

私をじろじろ見出す。まいったなあ。でも、嬉しかったよ。ありがとう。

 

観に来てよかった。

 

とても不思議な体験をした。

 

ミュージカルナンバーは思わず口ずさんでしまうこともあった。

 

カーテンコールのビッグフライングでは涙が出そうになった。

 

いい芝居に出ていたんだなあとあらためて思う。

 

 

 

 

 

 

 



2009.8. 4
GRANFONDO PINARELLO 2009

 

   

 

子供の頃から、海外に行くなら、その国の田舎に行くべきだとかねてから言われていたが、それは間違っていないと思う。

 

私が訪問したTREVISOという町はヴェネチアから車で約40分。

 

安心できるいいところだった。

 

イタリアに旅行を御計画の自転車好きは是非訪れていただきたい。

 

はっきり言って最高

 

ツールやジロを見て、兼ねてからやってみたいことが、できた。

 

その①

PinarelloのNo.1 モデルを心置きなく走らせる。

 

その②

大集団での巡航50km/h

 

その③

ロータリーで、集団が左右に分かれる。その中にいる。

 

その③

集団落車から免れる。

 

その④

走りながら、飲み物を受け取って、カップを捨てる

 

その⑤

イタリア人の友情を感じる。

 

その⑥

ELITEのブースで、イタリア美女からマッサージを受ける。

 

列挙にきりがない。

 

今まで200kmを超えるレースは富士チャレだけ。

 

それをはるかに超える体験だった。

 

本場のレースは凄い。

 

55歳も、70歳も、女性も、最高のフォームで走り抜けていた。

 

 

私のタイムは以下の通り。

 

7:06:25 

 

目標から一時間以上も遅かったけど、悔いのない走りができたので、心の底から幸せだ。 

1300人近いマスドスタートは、ノルマンディ上陸作戦さながらだ。

 

走り出して2分もすると、左右前後で落車の殺人的な音が響く。

 

イタリア人は身長こそさほど高くないものの、その体躯はがっちりしていて、こいつらとレースするのかと思うと、気後れしそうになった。

 

ブレーキの合図は「オー、オッ」とレバーの握りの強さに合わせて叫ぶだけ。

 

実に単純、かつ明快。

 

落車を避けたのと同時に、スーパーRのチェーンがインナーの更に内側に落ちて、トルクを失う。

 

カメラをシートポストに括り付けて、私の前を走ることを命じられたファビオが、すかさず私の腰を右手で支えてアシストしてくれた。

 

なんていいヤツなんだ。

 

BBまで落ち込んだチェーンが戻るまで、ずっと左手でスピードが下がらないように押してくれた。

 

放送で彼の姿が映っていなかったのは残念だ。

 

サン・ボルトの後の下りで、私の自転車の前タイヤがパンクしたときも、すかさず自分の前輪を差し出そうとした。

 

そしてその後自分の脚が売切れるまで前を引いてくれた。

 

ありがとう。

 

こうなったら、多少脚が攣ったって、走り続ける以外ない。

 

その思いが私をゴールまで導いてくれた。

 

自転車は一人で走っているようで、実はそうじゃない。

 

 

 

                              続く



2009.8.11
嗚呼、愛しの大原麗子様

 大原さん、大原さん、どうしてそんなに早く逝ってしまわれたのですか?

 

私は何も恩返しできなかったじゃないですか?

 

私が今この歳まで役者でいられるのは、大原さんのおかげだともおもっています。

 

せめてもう一度お会いしたかった。

 

ありがとうございましたと、心を込めて伝えたかったです。

 

私が、若くてバカで、思い上がっていて、人の痛みもわからなかった猿のころ、ピート・ハミルの「ニューヨーク・スケッチブック」を貸してくださいました。

 

「一生返さなくていいから読みなさいね」

 

そんな素敵な本の薦め方、大原さんしかできないです。

 

19の夏。

 

バカな俺をかばって、じかに社長に電話して、

 

「鶴見君をくびにしないでください」って、会ったこともないウチの社長に頼んでくれました。

 

 社長は大原麗子から電話があったって、有頂天になってくれて、俺を見直してくれました。

 

「アタシね、ちびだから、あだ名がビッチっていうの、変でしょ?

 

でも、アタシを昔から知っている人は、皆ビッチちゃんって呼ぶのよ。」

 

大原さん・・・・ビッチって・・・・

 

そういうところが、最高にかっこよかったです。

 

なんで、なんで死んじゃったんですか!?

 

さびしいですよ

 

悲しすぎますよ



2009.8.18
よし、やる気になってきた

暑いのと、仕事がちょっと忙しかったことにかまけて、最近気持ちがたるんでいた。

 

外に出て自転車に乗らず、ローラーに乗って走った気になるのが関の山。

 

これじゃあ乗鞍はピクニックになってしまうな、なんて考えながら、湘南国際村にいった。

 

8分そこそこで、走れればいいかとタイムを見たら、7:46

 

思ったよりいい。

 

俄然やる気が湧いてきた。

 

暑いのも仕事があるのも皆一緒だ。

 

よーし!

 

来月6日から「官僚達の夏」というドラマに出るので、岩手県の釜石にロケに行っていた。

 

設定は北九州なので筑豊弁のセリフ。

 

私は、方言のセリフが大好きだ。

 

使い慣れない言葉を使うことで、他の人間になって、別の人生を生きている感じがする。

 

つまり、「演じてる感」をたっぷり味わえるのだ。

 

美術セットも豪華だし、雨も降らしたり、大型扇風機で風を吹かせて嵐を作ったりもする。

 

そんな中、「なんば言いよるとですか!」とかいって叫ぶと乗ってくる。

 

私だけでなく、皆がいい相乗効果を出していたようで、悲しいシーンでは、エキストラも涙を流していた。

 

1960年代の話だから、子供の頃に見かけた懐かしい車も運んできた。

帰りはUターンラッシュで大変だったそうだ。

 

お疲れ様でした。



2009.8.27
安田団長をアシストしたつもりが・・・・

 大阪から東京まで、プロポーズのための指輪を持って、安田大サーカスの団長が、自転車で走る。

 

その距離全長およそ560km。

 

途中463km地点の元箱根から湯元を一緒に走る予定で、LEGONの仲間、ラテさん、SIGさん、シンボーとともに、12時頃から、芦ノ湖で待機していた。

 

団長の到着までまだまだ時間があると連絡を受け、大観山を軽く登る。

 

芦ノ湖湖畔でいつも寄る「いせや」で昼食をとって大休止。

 

この時点で団長は、まだ富士市、予定より4時間遅れて14:30

 

連絡によると、団長は膝や腿にかなり負担が掛かって、苦しんでいるという。

 

どうせなら箱根峠の登りを一緒に走ることにしようと、三島まで下って団長を待つことにした。

 

時刻は18:30を過ぎ、日が暮れていく。

 

団長、箱根を越えられるのだろうか?

 

すると今中家元を先導して、団長到着。

 

私とLEGONの仲間の姿を見つけると、

 

「鶴見さん来てくれたんですか」とても喜んでくれた。

 

意外と元気じゃないか。

 

これなら大丈夫だ。

 

私が前を引いて、今中さんと団長を挟む。

 

暗く静かな箱根峠を愉快な笑い声とともに登っていく。

 

「鶴見さんたちが来てくれたおかげで、ホンマに元気になりました」

 

こんなこと言われて、アシストしにきたつもりが、逆に幸せな気持ちにさせてもらった。

 

およそ1:10、想像以上にいいペースで箱根峠を上りきった、そのとたん、

団長が「辛かった!・・・・」と男泣きに泣いた。

 

止めてくれ、俺まで泣きそうになるじゃないか。

 

本当は辛かったんだな。

 

本当によくがんばったね。

 

ただ自転車に乗ってきただけなのに、どうしてこんなに泣けるのか。

 

これが自転車の魅力なんだ。

 

一人で走っているようで一人じゃない。

 

それが自転車だ。

 

途中、何人ものLEGONのメンバーや、他の自転車仲間達が多く応援に駆けつけた。

 

みんな、本当にありがとう。

 

自転車でまた幸せになれました。

 

団長は無事、本日の3:30ころ目的地の東京タワーに着いたそうです。

 

俺も大阪まで走ってみたくなった。