ピーターパン東京公演の千秋楽を観て来た。
昨年まで延べ5度の夏をフック船長で過ごしていた。
自分が出ていた芝居を観るという貴重な体験、これを逃す手はない。
違う役者が演じると、どうなるのか?自分にはなかった何かを見つけることができる。それは、おもしろい発見でもあるけど、同時にちょっとした感傷を伴うことでもある。
かつての恋人の新しい彼に会うという感じでもない。住んでいた家の今の住人の様子を見るというのでもない。自分で辞めた会社の、かつての役職の仕事振りを見るという感じだろうか?
ピーターパンの高畑充希、タイガーリリーの峰真琴、ダーリング婦人の比企理恵、半分以上のキャストは変わっていない。
子供達を喜ばせる演技をするのは体力勝負。アクションやダンスが多いステージは怪我人も多く出る。千秋楽までともに過ごすキャスト、スタッフはいわば戦友ともいえる。彼らががんばっている姿を一観客として観た。
会場の東京国際フォーラムホールCには、今まで楽屋口から入ったことしかなく、正面入り口から入ったのは初めてだった。ロビーは、着ぐるみのピーターや、フックがいて、子供向けのアトラクションで賑わっている。
開演前はこんな様子だったんだな。
客席は子供が多いから、後の席が見にくくならないように、頭を低くして座る。すると、斜め左後のおじさんが、
「鶴見辰吾は鶴見辰吾で、天然だからね」
と、私の話をしているのが聞こえる。
やはり、比較されるんだなと思いつつ、「天然だから」何なのか凄く気になる。それにしても、天然と言われているとは知らなかった。
こういう場合、後を振り向いて、「天然だとどうなのか教えてください」と聞くべきか、知らない振りをしておくべきか一瞬迷ったが、びっくりさせても悪いので、聞くのは止めた。
オーバーチュアが始ると、舞台の上手でスタンバッていたのを思い出して、本番の緊張が甦る。この回はここで拍手が来ていた。今日のお客はいいお客さんだ。
どうしても、見入ってしまうのは、ダーリング氏、フック船長を演じている橋本じゅんさん。その姿を見るのは、自分では出し切れなかった答えの残りを探す作業でもある。
私だったら・・・・
出てしまったこのフレーズ。
私だったら、海賊達とのシーンであそこまで息のあったおもしろさを出すには、去年の稽古の量では足りなかっただろう。
スミーが爺やで、フックがぼっちゃんの図式は、二人の関係を作っていくうえで意識する材料にはしていたけど、あんなにおもしろく役に取り込んでいくことは私にはできなかった。演じることに遠慮してしまうのが私の悪いところ。これは蜷川さん流にいうと、「端役根性」だ。私のフックにはそういうところがあったような気がした。
橋本さんは客が喜ぶところを知っている。ドラマ、映画が多かった私はそこがわからずに、客を置き去りにしてしまうときがある、ということに改めて気づいた。
では、私の演じていたフックはいいところはなかったかというと、そんなことはないといいたい。
ピーターを子供の夢の具現者だとすれば、フックは大人の夢の具現者である。この二人は夢の具現と引き換えに大きな代償を支払っている。
それは、とてつもない孤独と、悲哀だ。
人間の暗部を演じるのが持ち味の私としては、その辺が鶴見版フックの味わいどころと感じていただけたら幸せだ。
あとは、好みの問題。
いつか、歴代のフック船長と語り合ってみたいもんだ。
3幕の海賊船のアクションは観ているだけで、大変さが甦って、息があがってくる思いだった。
自分が出ている時は、フックが海に落ちてからは早替えで、観たことがない「♪いばろうぜリプライズ」。このナンバーは、出演者が、客席に下りてきて、「クックッククー」と一緒に振りを誘いにくる。
私としては、一番きまずいところ。
案の定、私に気づいた出演者がそれぞれの反応をする。
吉川はハイタッチ、美紀は後から覗き込む、難ちゃんにいたっては、私を見て、素に戻って固まった。
周りのお客さんが、何でこの人ばかりいじられるのか不思議に感じ始めて
私をじろじろ見出す。まいったなあ。でも、嬉しかったよ。ありがとう。
観に来てよかった。
とても不思議な体験をした。
ミュージカルナンバーは思わず口ずさんでしまうこともあった。
カーテンコールのビッグフライングでは涙が出そうになった。
いい芝居に出ていたんだなあとあらためて思う。





